コピー機の歴史
2017.03.29

印刷原稿と見分けがつかないほど精巧な複製が作れる「コピー機」。私が学生の頃は、コピーのことを「青焼き」と言っていました。なんと、コピーして出てきた紙が真っ青なのです。しかも画像がざらついていて、とても「精巧」と言える代物ではありませんでした。今回は、そんな「青焼き」が、いかにして現在のコピー機になったのか、その歴史を少しだけご紹介します。
事務用として使われた「複写機」は、1779年に英国人のジェームズ・ワットが発明したそうです。ただこの「複写機」、インクがしみやすい紙を重ねて、圧力で転写する、という簡単なものでした。と言っても、現在の複写機も、トナーを紙に圧着させることで印刷したそうですから、考え方としては似ていますね。1951年には、ドイツで感光紙に紫外線をあてることで印刷する、「ジアゾ式複写機」が販売されました。「ジアゾ式複合機」は、原稿と複写用紙を重ね合わせて機械に通し、内部で紫外線を当てることで、複写用紙の「ジアゾ化合物」が化学反応を起こします。この化学反応により、主に青く色がついて、複写されるという仕組みです。「青焼き」という呼び方は、ここからきています。なお、「青焼き」は、現在でも図面などの用途で使われているようです。現在、多く使われている「コピー機」は、PPC機と呼ばれます。Plain Paper Copierの略です。基本的な機構は1938年、アメリカで発明され、のちのゼロックス社が特許を買い取っています。1959年には事務用機器として販売が開始されました。世に出たのは「青焼き」が販売されたよりも少し後ですが、現在はこちらが主流です。トレイから用紙を機械に搬送し、トナーを電子的に用紙に乗せた後、最後に定着ユニットを使用して、紙に高温圧着します。薬品が塗られている複写用紙が必要なジアゾ式の「青焼き」とは違い、普通の紙で複写ができるのが特徴です。複合機は英語で「MFP」と呼ばれます。「Multi Functional Peripheral」の略です。まず複写機にファクスの送受信機能がつき、ハードディスクの大容量化と低価格化でボックス機能が、さらにネットワークスキャンやクラウドサービスへの対応など、様々な機能が追加されてきました。現在ではもはや単なる「コピー機」ではなく、ビジネスの中核として重要なツールとして位置付けられています。
いかがでしょうか?文明の利器の代名詞のようなコピー機ですが、その歴史は意外と古かったのですね。

▲ ページトップへ